久しぶりに映画を見た(と言ってもDVDだけどさ。)
「ハイドアンドシーク」
「まあいつもの事さ」と済ましてしまってもいいのだが、久しぶりなので色々つっこもうと思う。
思いっきりネタバレだから注意。
「デニーロパパにとってエイミーが作り出した架空の人物だと思われてたチャーリーが徐々に「実在」として感じられるようになり、チャーリーは隣人かと思いきや実はもう一人の自分だった。
しかも妻は自殺したと思っていたが、実はそれもチャーリーが殺したのだった。」
というのはもっともらしいストーリーで、映画をさらっと見る限り何の疑いもない筋書きだ。
しかしながら、最後のシーンでエイミーが描く絵において、エイミーの顔が二つ描かれ、それでこの映画は終わる。
更にこの映画のややこしいところは、2:06にデニーロパパの顔を撫でて起こす手の存在である。
このシーンはママの自殺の時からすでに登場している。
これを「実在」とするならば、エイミーとしか考えられない。
それを裏付けるかのように、都度必ずすぐにエイミーは現る。
これの意味するところは何か。
ママを殺した犯人がエイミーであるという事なのだろうか。
そうするとチャーリーは本当にデニーロなのか?という疑問が浮上する。
エイミーはしきりに「チャーリーがやった。」と事ある毎に言っている。
んがしかし、バスタブに「You let her DIE」と書いたはエイミーの字だとデニーロパパは言っている。「チャーリーに書かされた」ならいざしらず、
「何もしてない。」「チャーリーだ。」という。
更には、バスタブに窓から突き落とされた女の死体が入ってる際「Can you see now?」とシャワーカーテンに書かれていたが、その後でデニーロが自分が犯人だと気付くシーンの際、エイミーは「Can you see now Daddy?」と同じセリフで言う。
警官の死ぬ所を絵に描いちゃったりもすることからも、といういう事は、チャーリーはエイミーのもう一つの人格の事なのだろうか?
いや、確かにエイミーは一度もデニーロパパのもう一つの人格に向かって「チャーリー」とは呼ばないが、クローゼットに隠れている人物の事をはっきりチャーリーと言った。
それに「チャーリーはママのように楽しい」というようなセリフも登場することから、チャーリーはデニーロパパであり、当初母親の代わりとしてエイミーの前に現われ、二人は楽しく遊んでいた。ってのが自然な解釈ってもんだろう。
結局話しがよくわからなくなってきた。
意味がありそうで分からない細かいところもある。
デニーロパパの写真を破ったのは誰か。
なんの為に破いたか。
人形の顔を潰したのは誰か。なぜか。
人形とオルゴールが洞窟にあったのはなぜか。
多分この辺が隠れたストーリーを一本化するヒントだと思うのだが、サッパリわからんのだ。
もう何度か見ればわかるのかもしれないが、面倒である。
誰か推理を頼むー。
あんま重要じゃないけどもう一つ疑問。
隣人は何を言い争っていたのか。「夫があんな事まで・・。」という「あんな事」って何だろうか。
まあそういうのもひっくるめて
「なんとなく意味ありげな方がいいじゃん。」
ってノリで無駄に意味深に作ってあるだけって可能性もあるが、まあそこは騙されていこうじゃないか。